寒い。

俺の前に続く足跡は、だんだん降り積もる雪に消されていく。

きっと明日の朝にはまたその上に誰かが新しい足跡をつけて、彼がここにいたことをなかったことにしてくれる。


足跡のように俺の中のお前も消せたらいいのに。

お前の中の俺に雪が降って、いつか誰かがその上を歩く。きっと俺は消えていく。

そんなの耐えられるわけねぇだろ。



雪蛍




「雪アルー!!銀ちゃん雪!」
「さっみぃよ馬鹿!窓閉めろ!」

初雪が降ったその日は朝から神楽が銀時の部屋までやってきて、窓を開けてはしゃいでいた。
気温は一桁。粉雪が曇り空から降っていた。
神楽は布団を頭まで被る銀時の上にまたがってそれを剥ぎ取ると、思いっきり遠くまで投げて、無理やりに銀時を起こす。
銀時は信じられないと叫んで両手で自分の体を抱えて縮こまった。

「新八が朝ごはん出来たって。」
「わぁったわぁった!ちょ、顔洗わせろ。」

銀時は上に乗った神楽を降ろすと震えながら体を起こした。ぶつぶつと呟きながら洗面所に向かった銀時を見送ってから神楽は応接間兼リビングにかけていった。

パシャッパシャッ

お湯と水を半々に出して、温い温度で顔を洗う。
寒い体に温かい水温が気持ちいい。
銀時は洗い終えるとふうと一息ついてタオルに手を伸ばした。
顔を拭いて、どうせだから髪のセット(まぁセットしても大して変わらないのだけど)もしてしまおうと鏡を見た。

グラリと視界がぼやけた。

一瞬家にまで雪が降ってきたのかと思った。

「っ!!」

湯の出ていた蛇口をきつく閉め、冷水の蛇口を思い切り開いた。勢いよく流れ出す水に両手を差し出して、大きく汲むと顔に投げかけた。
氷水の様に冷たい水は、全てをクリアにしてくれる様な気がして、一瞬ぼやけた視界も思考も、現実に引き戻してくれる。
何度も何度も繰り返すその行為に終わりを告げたのは神楽の

「銀ちゃーん!いつまで洗ってるアルかー!」

と、リビングから呼ぶ声。坂田家には全員揃わないと食事を始めないという暗黙の了解があるため、声からして神楽は朝飯を目の前に我慢の限界になっているのだと分かる。

銀時はゆっくりと顔を上げて再び鏡を見た。

写っていたのは、前髪に滴を沢山ぶら下げたいつものだらしない顔の自分。

「・・・そうそう、この顔。カッコよすぎて眩暈しちまったな。」

独り言。それはまるで自分に言い聞かせるよう。

退院してから一週間。視界が歪む回数は日に日に増えていく。近眼とはまた違う、全体が白い光に包まれていくような感覚。恐る恐る目を閉じて開くと、いつもの風景に戻る。
怖いのは、閉じた時の暗闇が、永遠に続くのではないかということ。目を開けても、閉じていた時と同じ色の世界だったらどうしようという不安に毎日毎日怯えていた。

誰にも言えない。

いつも通りの坂田銀時でなければ。

じゃなきゃ、色々な物がバラバラになってしまう気がした。


「あ、土方さん。いらっしゃい。」
「なんだ、三人揃ってるってこたぁ、今日も仕事ねぇのか?」

午後一番、早番の仕事を終えた土方が片手にクッキーとレンタルビデオを持って万事屋に来た。

「ビデオ借りてきたアルか?」
「ホラよ。イカレスラー炎の逆襲。」
「きゃほーうっ!マヨラーもたまには役に立つネ!」
「んだとコルァ!」

今日は元々銀時と過そうと思っていたのだが、来るならついでにビデオを借りてきてほしいと言われて借りてきた。それならばもういっそそれを一緒に観ようということになって。

「よぅ。」
「ああ。」
「実は銀さんもこれ気になってたんだよなー。」
「趣味悪ぃな。」
「ほっとけ。」

ワクワクしながらビデオをセットしてテレビの前に座り込む神楽。土方と銀時はソファに腰掛けた。
長ったらしいCMは早送りして、もうすぐ本編が始まるという時になっても新八はリビングや他の部屋を行ったりきたりしている。掃除とか洗濯をしているらしい。
銀時が後でいいから座れと言うと
「もうすぐ終わりますから。いいから、銀さんはゆっくりしてください。」
と言ってまたパタパタと部屋から出て行った。

「悪い母親だな。子供に家事させて。」
「誰が母親だ!」
「夕飯は作らせんなよ。外に食いに行こうぜ。」
「「マジでか!」」

神楽と銀時の声が重なった。テレビの真ん前にいたはずの神楽がイスの後ろから身を乗り出して目を輝かせている。

「ちょ、おまっ本編はじまってんぞ!!」
「ああっイカレスラーがぁぁぁ!!」

イカレスラーがKO負けしたところで止めてテープを慌てて止めて巻き戻す。・・・最初の試合の結果を観てしまった。ガッカリしながら巻き戻している神楽を見ながら、銀時は小さな声で話し始めた。

「やけに優しいのな。どうしたんだよ。」
「あ?外に食いに行くのがおかしいか?」
「だって、いつもは渋るだろ。」

土方は隣に落ちている銀時の手を握った。

「お前最近元気ねぇからな。食べ物で釣ったら笑うかと思って。」
「俺は犬か!!」
「俺の恋人だ。」
「なっ。」
「他にやり方分かんねえんだよ。」

袂から煙草を出すと口に咥えて火をつけた。照れ隠しの行動であることが銀時には分かった。不器用で、それなのにこの男の行動が愛しくてたまらない。
神楽はテレビに夢中。
新八は布団を干しに行っている。
銀時は土方の口から煙草を奪って、その唇に自分の唇を重ねた。

「教育上これはよろしくねぇだろ。」

そう言って土方は笑う。

「なんかドキドキすんね。」

銀時も笑った。
そしてその唇をまた土方が塞いだ。

土方が横目で神楽を気にしている。その様子を銀時が見ると、なんだよと言いながら照れているのが分かる。

「今日泊まってく?」
「当たり前だろ。」

だから今はこれで我慢すると言って、もう一回キスをすると土方は顔を画面に向けた。手は、銀時と繋がれたまま。




とてもとても温かい。


空気も、土方の手も。


見たかった映画だったけど、もうどうでもいい。


お前がいれば、なんでもいいや







いつの間にか銀時は眠っていた。

耳の奥底に、遠くからイカレスラーのテーマが聞こえる。きっと映画が終わったのだろう。起きていた記憶は最初の15分にも満たない。
折角借りてきてもらったのにコレはさすがにないと思い、目を覚ました。


ハズだった。


感覚では目を開けている。それなのに

「見え・・・ねぇ・・・。」

音は聞こえている。イカレスラーのテーマ。きっと画面にはスタッフロールが流れていて、神楽がその前で鼻垂らして泣いているはずで。なのに、銀時の視界は真っ暗なままだった。

途端に怖くなって隣の土方の手を握る。

そのつもりで握った手は、空気を一瞬掴んだだけだった。土方の手の感触がない。慌てて手を伸ばしたけれど、隣には何もない。

銀時の体がカタカタと震え出す。

「じ・・・かた・・・土方!」

名前を呼んだ。けれど呼び返す声はない。

「見え、ない!どこにいんだよ!土方、土方!!嫌だ!まだ!まだ待ってくれ!」

必死に手を振り回して叫ぶ。もう一回光が戻ってくることを願いながら。

「土方!土方ぁっ!!」

「おい、銀時!!」


聞きなれたその声に目を開けると、自分の肩を掴む土方が見えた。

「え・・・?」

それだけじゃない。神楽と新八も銀時を囲むように心配した面持ちで座っていた。
辺りを見回すと、ちゃんといつもの万事屋が視界に映っている。テレビにはスタッフロールが流れている。

「うなされてたぞ。どうした。」
「うなされ・・・?ちが・・・だって、俺・・・。」
「人の名前連呼しやがって。どこにも行ってねぇよ。」
「だって、さっき隣にいなかった。」
「はぁ?ずっと手握ってただろうが。」
「私の後ろでいちゃついてたアルかー!?」
「うるっせぇな!」

ずっと手を握っていた。それを聞いて、さっきのは夢だったのかと気付く。たまにあることだ。夢の中で起きるあの感覚。
吐き気がするほどリアルな夢の中の目覚め。


パタタッ。


銀時の目から涙が数粒、零れ落ちてズボンをぬらした。

「おい、本当に大丈夫か?なんの夢見たんだよ。」
「ごめ・・・っ何でも、ない。」

突然泣き出した銀時を土方はそっと自分に抱き寄せた。
神楽と新八にはその涙の理由が何となく分かっていた。

「銀時、何を隠してる?」
「何も・・・。」
「嘘つくんじゃねえ。俺が気付いてないと思ってたのか?」
「・・・。」
「銀時。」
「ごめん・・・。もう少し、待ってくれ。」


土方はそれ以上聞こうとはしなかった。
以前より少し細くなった銀時の体を強く抱きしめる。
それは銀時が言うまで待つという合図。





もう少し、待ってくれ。

また、幸せでいさせてくれ。

お前の隣にいることを、もう少しだけ許してくれ。


その日が来たら、


ちゃんと言うから。






















「さよなら。土方。」

消えていく足跡に、そっとそう呟いた。
さっきまで目の前にいた彼は、きっともう此処には来ないだろう。

もうすぐ、俺とお前の物語にスタッフロールが流れ始める。
そこで幕は下りる。

まるで夢のようだった。あの日、お前が借りてきたつまらねぇ映画を見た時みたいに俺はお前に出会って数分で、眠っちまったんだ。

それからずっと夢を見ていたんだと思う。

幸せで、笑っちまうようなこっ恥ずかしい恋愛映画。


もうすぐ終わる。


続編はない。


目が覚めた後には、暗闇が、広がるだけ。











*幸せと悲しみの落差。まだ続きます。。。長くてすみません。